GHS予備校で初めて体感した”学ぶ”ことの楽しさ

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こんにちは。
オンラインプロ家庭教師の旅する教育者です。

皆さんには恩師という存在はいますか?
聞いてみると、「いない」と答える人もいて驚くことがあります。

私は幸いなことに恩師の存在に恵まれていて、宮前小学校時代は山崎先生、マニラ日本人学校時代は鷲尾先生、桐朋高校時代は片岡先生、浪人時代はGHS予備校の村田先生と4人挙げることができます。

その中でも私が教育を志すキッカケとなり、初めて”学ぶ”ことの楽しさや豊かさを教えてくださったのは、GHS予備校という新宿にある少人数制の塾でした。

点数ゲームとしてではなく“学ぶ”のことの奥深さと楽しさを、正面切って伝えられる人がいまどれだけいるでしょうか。

建前ではなく本音で勉強の意義を伝えられ、なおかつ生徒に体感させられる教育者は少なくありません。それを伝えられる本物の教育者は全国にたくさんいると思いますが、その一人こそGHS予備校の村田先生だと思っています。

私が体験したのは貴重な経験かもしれませんので、対照的な体験をした高校受験と大学受験の経験を振り返りながら、”学ぶ”ことの楽しさとはなにかを考えてみたいと思います。

GHS予備校で初めて体感した”学ぶ”ことの楽しさ

  1. 高校受験で経験した受験に対する絶望感
  2. GHS予備校との出会い
  3. GHS予備校で初めて体感した”学ぶ”ことの楽しさ

高校受験で経験した受験に対する絶望感

私は人生で2度受験を経験しています。

高校受験と大学受験。

中学校3年間(正確には中1の6月から)は父の仕事の関係でマニラ日本人学校というところに通っていました。

塾はマニラ塾という補習塾とCJ塾という栄光で教えていた先生が開いた塾の2つしかありませんでした。そのため夏休みと冬休み以降は日本に帰国し、塾の帰国子女向けコースに通うことになりました。その時に出会ったのが某有名進学塾です。

某有名進学塾には結果的に私を第一志望に合格させてくれたという点で感謝はしています。しかし、きっと自分の子どもはその塾には入れないでしょう。なぜならば受験勉強というものが大嫌いになったからです。

ご存知の方もいらっしゃるかもしれませんが、私の通っていたような進学塾の宿題の量は半端じゃありません。例えば、夏休みの宿題として通称”電話帳”と呼ばれる『全国高校入試問題正解』を5教科全てやり切るというのが出されました。
これは通常の夏期講習の宿題とは別途です。

これはほんの一例ですが、ともかく尋常じゃない量の宿題が出されました。
その意図はなににあるかというとシンプルです。

大量の勉強量をこなす中で気づかぬうちに繰り返し繰り返し似た傾向の問題を解き、基本も応用も全部ひっくるめて大抵の出題パターンを暗記させてしまおういうことです。中学受験や高校受験レベルであればこの方法は有効です。事実、次第に苦手な数学の問題が解けるようになってきたものの、問題は解けるのになぜ解けるのかがよくわかっていないことが多々ありました。そのため、慶應志木などの変わった問題を出す学校は特に苦手でした。

つまり私がしたのは応用の効かないパターン学習でしかしなかったのです。

結果たしかに合格はしました。合格体験談にも意気揚々と載りました。

しかし、パターンの暗記によってできるようになったと見せかけていた数学は高校に入ると途端についていけなくなり、その事実に愕然としそのとき初めて理解しました。

真の実力はついていなかったのだと。

野球部の練習についていくのが精一杯だったことや、
なにより中学3年生の1年間かけてやった勉強が無駄になったような
虚無感に襲われて勉強というものが大嫌いになってしまいました。

特に受験勉強に対すしては嫌悪感しかなく、受験勉強は無駄だからいかに受験勉強をせずに楽して合格するかを考えていたのが現役時代の大学受験です。

結果、受けた大学は全て不合格という悲惨な結果となりました。

GHS予備校との出会い

受ける前からなんとなくわかってはいたものの、受験校全滅という現実を見せつけられた自分は浪人するための予備校探しを始めました。

その時に考えていたのが、高校受験の頃のような詰め込み型の予備校だけはやめようという一点。

新宿の紀伊国屋の受験コーナーで予備校ガイドなるものを見ていた自分が惹かれたのが『口コミで生徒が集まる個性派予備校』(今年で廃刊だそうで残念)という雑誌に載っていたGHS予備校でした。

そこには「残念だが決して傑出した才能の持ち主ではない。だが、意欲と志は高い。にもかかわらず、学習法を知らず努力が空回りしている。と自分を評価している受験生を歓迎します。」と書いてありました。

これはまさに自分ではないかと。

なんとか現役の無念を晴らしたい。
しかし、高校受験の時に経験した大量の反復学習によるパターンの暗記法以外どう勉強すればいいのかよくわからない。
そんな状態でした。

最初から期待していたわけではありません。
なぜなら、資料請求したものの他塾と比べて手作り感が満載でお世辞にも見やすいとは言えなかったからです。

それでもそこに書いてある文章にはどこか駆り立てられるものがありました。そこで、新宿にあるGHS予備校に出向いて面談をすることになったのです。

今でも印象深く残っているのは、面談の中で、勉強とはなにか、頭を使うとはどういうことか、体系立てて物事を捉えるとはどういうことかを実際の問題を解きながら教わるうちに、まだその意味するところを完全には理解できないまでも従来の受験指導のアプローチとは全く異なる視点にワクワクした気持ちで満たされたことです。

私は卒業式も済んでいない3月から早速GHS予備校での勉強を始めることにしました。

GHS予備校で初めて体感した”学ぶ”ことの楽しさ

高校受験の経験から受験は大量の反復学習を繰り返してパターンを暗記すれば合格できることはわかっていました。その一方、まさにそのような受験のためだけの受験勉強をすることにどうしもない絶望感を抱いていたわけです。

しかし、GHS予備校で教わった勉強のやり方は視点が全く異なりました。

料理に例えるならば、多くの予備校は料理本とにらめっこしながらたくさんの料理を作っていく中でレシピ通りに作れる料理を増やしていくアプローチです。

繰り返し繰り返し料理本を見ながらつくっていると自然とレシピ通りに作れるようになるわけです。
これはこれでとても大切な視点です。

しかしそれで料理の”楽しみ”を理解したと言えるでしょうか。

GHS予備校の目指すところは言うなれば、創作料理を作れるようになることに似ています。

冷蔵庫の中身を見ながら料理をつくったり、創作料理をつくるというのはレシピを見てレシピ通りの食材を買ってきてでしか料理をすることができないのとでは次元が異なります。

そこになにがあるかといえば、思考停止でただレシピ通りに料理をしているのではダメで、例えばなぜここで塩を入れるのか、なぜオイスターソースではなくてウスターソースなのかなど、一つ一つに対して目的を意識的にせよ無意識にせよ考えていく必要があると思うのです。

そうすると各調味料の果たす役割目的が見えてきます。
表面のレシピだけではわからないですが、目的がわかればその目的に応じて手段を選択することができます。

勉強も一緒です。
ただ字面を追っているだけでは物事の表層しか捉えられません。
丸暗記の勉強法では、例えばなぜ仮定法では過去形を使うのかが理解できないわけです。
(過去形は過去のことを表現する時以外にも使われます。その本質は”距離感”にあるのです。)

世界史や日本史の用語だって同じです。一問一答を一つ一つの点として暗記するのは拷問に近い。

そうではなくて、考えてみてほしいのです。
私たちは歴史上の出来事全てを覚えているわけではありません。全てではないということはそこに取捨選択が生じます。
取捨選択とは「意図」そのものです。その「意図」を考えずして闇雲に覚えるべきことになんの意味があるのでしょうか。

用語集で星が3つなのは理由があるのです。
受験によく出るという表層だけではなく、受験によくでるのはそれが歴史的に見て意味ある出来事だからです。(ちなみにさして意味や意図のない細かい知識を答えさせる問題を”悪問”と呼びます)

  • 物事の意味を常に考えること。
  • 思考停止で丸暗記をしないこと。
  • 森を見て木を見ること。
  • 物事を体系立てて捉えること。
  • 思い込みを排除して数ある選択肢の中から客観的に合理的に選択すること。

  •  
    それらは全てGHS予備校時代に教わったことであり、紛れもなく時には無駄と言われる受験勉強を通して教わったことでした。

    自分の見ている世界とは違って、一段高い視座から物事を見ている人がいるということ、そしてそういう人の言葉や思考は深いということをまざまざと目の前で示してくれる存在。

    それがGHS予備校の先生方でした。

    おかげで、勉強大嫌いで高校3年間ほぼ勉強せず、最終的には学年順位が下から50位に入り、現役時代は私立文系の3教科に絞っていたにも関わらず、受験した大学を全て全滅した自分が、たった1年でセンターの5教科7科目で平均9割を超え、慶應義塾大学法学部政治学科にセンター利用で合格できたのです。

    GHS予備校の先生方は決して優しくはありません。
    手取り足取り教えるような親切さは薄いかもしれません。

    口を開けてエサを待っていてもエサを運んではくれません。
    ですから、全ての人にオススメできるかといったらそうではないです。

    受け身のままでいたら得られるものは少なかったように思います。
    しかし、どんなに未熟であっても努力している人間、目指している人間には寛容でした。

    手取り足取り教え、なにをすべきかのレールを全て用意して、受験勉強を思考停止のパターン学習にしている塾や予備校に人気が集まるのは私も塾業界にいたのでよくわかっています。

    しかし、私は問いたい。

    これからの時代を見据えたときに本当にそのような環境に我が子を、自分自身を置くことが”優しい”と言えるのでしょうか。

    自分が使う参考書すら自分で決められず人にアドバイスをもらえる人材が本当にこれから求められる人材なのでしょうか。

    自分で汗をかこうともせず、どこかに魔法の勉強法があってそれを教えてもらって効率よく成果を出そうとする人材が本当にこれから求められる人材なのでしょうか。

    私は教育の価値というのは時間が経って振り返ってみたときに決まると思っています。合格した瞬間に感謝するのは当たり前です。
    しかし、その後5年、10年経って振り返ったときに「本当にいい教育を受けたな。」「いまにも確実に脈々と受け継がれているな。」「またあの頃の授業を受けたいな。」そう思える授業こそが本物だと思います。

    先ほど伝えたようにGHS予備校の目指すレベルは合格の更に先にあります。
    私の理解している範疇で言うと、受験勉強を通して大学に入ってからや社会に出てからも役に立つ思考法や考え方そのものを身につけるところにあるのです。

    ですから、とにかく合格だけがほしいという人には不向きかもしれません。

    GHS予備校はこれから先も役立つ体系的に物事を考える力を身につけて、その結果合格”も”手にしようとする欲張りな塾です。

    インターネットの普及によって情報はオープンになり、求めていさえすればGHS予備校のような無名でありながらも本物を追求する教育と出会うことができるようになりました。

    人は人によって磨かれます。

    一人でも多くの意欲と志のある学生が、本物の教育者集団であるGHS予備校と出会い、私はのように学ぶ楽しみを体感することを願っています。

    ▶【参考】GHS予備校のホームページ



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    旅する教育者代表「木村 公紀」

    旅する教育者代表「木村 公紀」

    マニラ日本人学校卒業後、私立桐朋高校に進学。帰国子女入試と一般入試の両方を経験する。その後慶應義塾大学法学部政治学科に進学。大学時代は4年間集団塾講師のアルバイトを続ける。新卒で人材教育の会社に就職後、2社目の会社で個別指導塾の塾長を経験。社内最速昇進記録を持つ。配属された校舎を毎年120名以上の生徒を集める人気校にしたのち、生徒一人ひとりと向き合い「できない」を「できる」に変える教育をしたいという志のもと独立。旅する教育者の代表を務める。
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