日本人でも移民?移民難民受け入れ校への入学

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今回の記事は、現地校の中でも情報の少ない「移民難民受け入れ校」を取り上げます。
日本では聞くことのない学校ですが、実際に入ってわかったこと、感じたことをお伝えします。

日本人でも移民難民受け入れ校に

市が実施する移民難民のための語学学校に2か月通い、有無を言わさず移民難民受け入れ校に入学させられたわが子。
その学校のある場所は薄暗く、現地の人からは危険地帯と言われている場所で、現地の人は寄り付かない場所とのこと。

入学したのは10月、北欧はこのころより日が極端に短くなり、11月には朝は8時過ぎないと明るくならず午後3時過ぎには真っ暗になる季節。
日本のように街灯の数が多くなく、通学・下校とも暗い中でバスに乗っての登校が始まりました。

難民移民受け入れ校は、ソマリア語やアラビア語が母国語の子がほとんどで、ここでも今までに日本人を受け入れたことは無いとの事でした。
まだまだこの国に来たばかりで、市の語学学校には通ったものの、現地語も英語も話せない子どもばかりで、生徒同士の会話も成り立たない状態でした。

数学の時間は日本の小学校2年生程度の計算からスタート、指で足し算をする女子生徒、後ろから物が飛んでくる教室、文房具は貸したら返ってこない、廊下での暴力ざたなども毎日起こり、校舎内で唾を吐くのも普通、予防注射も親の許可なしで日本では許可が下りていない種類のものを医者ではなく日本でいう保健室でうたれてしまい、5日間も高熱が出たこともありました。

生徒の宗教の関係でビュッフェ式の給食は豚肉が出なかったり、水泳の授業も肌を見せてはいけない生徒もいて、移民受け入れ国の難民受け入れ校では当たり前の光景だったのかもしれませんが、日本から来た私たちには何もかもが衝撃でした。

市の語学学校で現地語を覚えていったにもかかわらず、だれも使わない、意思疎通ができない、出身国同士で固まってしまう級友。
またここでも一人ぼっちの日々が続きました。

授業後に80分間母国語教師が来て生徒の母国語でわからなかった現地語の授業を指導してくれる時間を設けてもらうことが出来ました。
日本語の教師はいなかったのですが、我が家は運がよく、国際結婚をされた日本人女性が私たちの街にちょうど引っ越してこられ、わが子の母国語教師を引き受けてくださいました。
80分でもとてもありがたく、現地語で習う地理や理科を訳してもらって指導していただきました。

今となっては懐かしい思い出ですが、通っていた時は親子ともが精神を追い詰められているというか何をどうすればいいのかもわからない状態だったなと思いました。

現地でできる最良の選択、信じることの大切さ

2か月が過ぎたころ、学校カウンセラーの教員が「ここは日本人のいる学校ではない」と言ってくださり、転校先を探すことになりました。
この教員はとても親身になってくださり、一緒にいろいろな学校に打診をかけてくださいましたが、どこも現地語と英語ができないという理由で断られ続けました。
日本にいたとき、現地語も英語もペラペラになって、現地の中高を卒業してかっこいい!なんて思っていたのは理想に過ぎなかったと気づかされました。

今思うのは、それを後悔するのではなく、そうなったときに子供と向き合い、どうしていくのが子どものためになるのかを、今、現地で考えられる範囲内で最良の選択に舵を切るということが必要、その舵が間違っていたとしてもそれはその時考えた最良の判断だったと信じ間違っていたのではと後悔はしないこと。

駐在は必ず期限があり、長い・短い、帰国のタイミングが何年生であるのか?子供の性格によってもどうしたほうがいいかも大きく変わると思います。
どの赴任家族も同じ選択はできないです。

誰にでもでき得ない経験をしたことでわが子の社会的判断能力と生き抜く力はかなり養われたと思います。かわいい子には旅をさせよとはほんとだなあとつくづく感じました。

次回は最終的にどのような学校に行きたいのか、子どもとの学校選択に関して書きます。

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すっかり教育ママ

すっかり教育ママ

子ども2人を生後6か月から保育園に預け仕事最優先!育児はおばあちゃんにまかせきり。 やっと子どもたちが中学と小学校に入学したと思ったら突然の海外赴任決定!自己のキャリアをすべて捨て、あこがれの海外生活を夢見て日本人学校もインターもない非英語圏に帯同したアラフォーママ。

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